県連トピックス
長崎県生活協同組合連合会の役員研修(高知県)についての開催報告
2026年9月3日(木)~5日(土)の行程で長崎県生協連の役員研修に行って来ました。
今回は、会員生協より7生協8名、事務局2名を含め、合計10名で実施しました。初日は高知空港へ向かう飛行機の関係で福岡県(博多駅近辺)に前泊しました。2日目より研修が開始され、10時過ぎに高知龍馬空港に到着して南国市前浜防災コミュニティーセンターの掩体壕を見学し、戦争の悲惨さと平和の尊さ、そしてそれを支えた方々の苦労について学び、午後からは香美市立やなせたかし記念館、アンパンマンミュージアムを見学し、やなせたかしさんの歴史を学びました。3日目は、五台山の高知県立牧野植物園の見学を行いました。
●日程・行程内容
<9月4日(金)>
1.南国市・掩体壕 見学 10時30分~12時00分
掩体は、飛行機の格納庫で第二次世界大戦当時、中型15基、小型9基、W型17基が存在していました。掩体は、敵の攻撃から飛行機を守るための構造物で、その中には、鉄筋コンクリート製のもの、木や竹、土で造られたもの、屋根がなく擁壁のみのものなどが存在していました。
![]() 高知龍馬空港でのお出迎え |
ガイドさんから説明をしていただいながら、掩体壕周辺の戦跡めぐりを行いました。掩体の天井には「むしろ」やセメント袋の跡がついていました。この状況から掩体の造り方がわかるとのことでした。まず、掩体と同じ大きさの土まんじゅうを作り、大勢の人々がその上に上がり踏み固めます。その作業をしていたのは、中学生、近くのお母さん、高知刑務所の受刑者、朝鮮半島から強制的に連れてこられた人々などでした。固められた土の上に「むしろ」やセメント袋などを敷き詰めます。その上にセメントを流し込み、塗り固めます。セメントが固まったら、中の土をすべて取り除きます。
![]() 掩体壕ガイドの森本さん |
こうして掩体のドームが出来上がります。天井には「むしろ」や袋のしわの跡が残るわけです。もの言わぬ掩体ですが、無言のうちに戦争の悲しさ、平和の大切さを訴えていると言われました。当時、ここに住んでいた人々は、どのような思いで掩体を造り、見ていたのかということを考えると、今の私たちには到底出来ないことですし、本当に平和で良かったと実感しました。
![]() 掩体前での集合写真 |
2.やなせたかしの略歴、戦争体験についての学習会
![]() 高知県生協連(佐竹会長)による平和学習会の様子 |
高知県生協連の佐竹会長、事務局の前田梓様から、やなせたかしさんの略歴や平和へのメッセージについて、熱意あふれる丁寧なご説明をいただきました。 前田様のやなせたかしさんへの深い思いのこもったお話は大変心を打つものであり、その平和への願いが「アンパンマン」にもつながっていることを、改めて深く理解することができました。
ありがとうございました。
3.やなせたかし記念館・アンパンマンミュージアム 見学 13時00分~15時00分
やなせたかし記念館・アンパンマンミュージアムの施設見学とガイドさんによるやなせたかしさんの歴史についてお話をたくさんお聞きしました。やなせたかしさんは1941(昭和16)年22歳の時に九州の小倉の部隊に入隊し、その後、中国大陸に出兵し、上海近郊の朱渓鎮で終戦を迎えました。
著書「ぼくはせんそうは大きらい」で、自身の戦争体験を語っています。
戦時中に一番困ったことは食べるものがなく、食事は朝晩だけでご飯はうすいお粥だったそうです。空腹には勝てず、野草など色々なものを食べたそうです。戦時中に空腹ほど辛いことはなく、これから戦争をするのは無理だと感じていたそうです。アンパンマンが自分の顔を食べさせてあげるのは、この時の体験から生まれたとのことでした。昭和21年3月になり、やっと帰国でき、上海を出て日本の陸地が見えた時は、皆が甲板で躍り上がって喜んだそうです。中国に派遣された時は「もう帰れないかもしれない」と覚悟を決めていたので、帰れたことは何より嬉しかったそうです。また、敗戦の悲しみとか、そういうものは全くなかったそうです。やなせたかしさんからの平和のメッセージとして「ぼくは人を殺す戦争はきらいです。憎くもない他人を殺すのは嫌なのです。死ぬのも嫌だったけど、戦争だけはいけない。一度戦争をしたら、みんな嫌気がさすにちがいありません。本当の戦争を知らないから「戦争をしろ」とか「戦争をしたい」と考えるのです。」というメッセージが残されています。やなせたかしさんの戦争に対する考え方の根本が見て取れました。私たちも、このことを次世代に継承していくことが望まれます。
![]() やなせたかしさん |
![]() やなせたかし記念館 |
<9月5日(土)>
4.五台山・牧野(富太郎)植物園 見学 11時00分~12時00分
牧野富太郎博士は、生涯で収集した押し葉標本は40万枚を超え、蔵書は約4万5千冊を数えます。新種や新品種など1,500種類以上の植物に学名を付け、日本の植物分類学の基礎を築きました。1953(昭和28)年東京都名誉都民、1957(昭和32)年1月18日永眠、没後、文化勲章受章されました。2023年度前期に放送された連続テレビ小説「らんまん」(NHK)の主人公のモデルになりました。高知県人たちの活躍、功績、歴史を学ぶことが出来ました。非常に興味深い内容でした。その後、植物園などを見学し、より深く知ることが出来ました。
![]() 牧野富太郎さん |
![]() 日本植物図鑑 |
![]() 日本植物図鑑 |
●研修を終えてのまとめ
前泊も入れ3日間の行程で役員研修を行いましたが、どの施設も興味深く、またガイドさんの説明がわかりやすく、非常に中身の濃い役員研修になったのではないかと考えます。特に、9月4日に訪れました掩体壕の見学や説明会、やなせたかし記念館の見学については、当時の状況や戦争に対する考え方や思いなど、平和活動を企画するうえで参考になるのではないかと思いました。
●今回の役員研修にあたり、高知県生協連様には大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。
高知空港に到着した際には、玄関口で「ご一行様」の看板を掲げて温かくお迎えいただき、参加者一同、大変うれしく、心温まる思いがいたしました。私たちを歓迎してくださる皆様のお心遣いに、改めて感謝申し上げます。
以上













