県連トピックス
「被爆・戦後80年」平和学習会開催報告
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横山 照子さん |
6月25日(水)、「被爆・戦後80年」平和学習会を九州労金長崎本部大会議室で開催しました。親子連れ含めて45名の参加がありました。
今回のテーマは「長崎被災協 68年間の歩み ~長崎の被爆者運動について~」と題して、長崎原爆被災者協議会の副会長である横山照子さんを招き、開催しました。 横山さんは4歳のとき、疎開先の島原から中新町に戻り入市被爆された被爆者です。
1.講演の主な内容
(1)1945年8月9日に原爆が投下され、多くの市民が犠牲となり、被爆者は原爆症に悩まされ、差別や偏見に苦しんできたこと
(2)被爆から9年目の1954年の第五福竜丸事件では広島、長崎に次ぐ第3の核兵器の被害を知った市民や平和団体が核兵器廃絶運動がはじまったこと
(3)1955年6月、長崎唯一の被爆者組織「長崎原爆乙女の会」が発足。 翌1956年、故山口仙二さんが結成した団体と合流し、「長崎原爆青年乙女の会」が設立された。 会員は一時 100人を超えた
(4)1956年に第2回原水爆禁止世界大会は長崎で開催され、故渡辺千恵子さんはお母さんに抱かれ世界に向けて核兵器廃絶を訴えたこと
(5)同年、被爆者の組織化が進み、長崎の地で被爆者の全国組織である日本被団協が誕生したこと
被爆・戦後80年、被爆当時から現在に至るまで 長崎の被爆者運動の礎を築いた渡辺千恵子さん、山口仙二さんをはじめ被爆者の様々なご苦労や奮闘など貴重なお話をいただきました。
2.参加者の感想
- 横山さんの人柄が感じられる話し方で、これまで語り継いで来られた熱い思いをもった皆様の強い意思を再度感じ取ることができました。
- 被爆の実相を知る方が少なくなっていく中、これまで聞いた様々な話を自分でできる場面では少し話をしたいと思います。
- 長崎原爆乙女の会や日本被団協が設立され、国際社会で原水爆禁止の機運が高まり、核兵器禁止条約発効に至るまでのご苦労について初めて当事者の方の意見を聞くことができました。
- 被爆80年となり、被爆者のお話を直接聞く機会も限られて来ています。私たちの世代がしっかりと歴史認識含めて伝えていかねばならないと強く感じました。
長崎県生協連では「被爆・戦後80年」を節目として、先人たちが築いて来られた被爆者運動に学び「長崎を最後の被爆地に」との強い思いを若い世代へ継承する取組みを引き続き進めてまいります。
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会場の様子 | 参加者からの質問 |