県連トピックス
ピースアクションinオキナワ 第40回沖縄戦跡・基地めぐり報告
2023年3月23日(木)~25日(土)、ピースアクションinオキナワに長崎県連からの代表派遣として参加しました。全国の生協が沖縄に集う企画としては4年ぶりの開催となり、実参加27生協71人、全国から220人のオンライン参加でした。
【1】3月23日(木) 学習講演会・交流会
〈1〉「市民と子どもを巻き込んだ沖縄戦から、今学ぶこと」 講師:川満 彰さん
- 戦争孤児についてお話を聞きました。1953年と1954年にそれぞれ孤児の数を調査されたところ孤児の数は減っていたそうです。その理由は、お寺に預けられるようになった孤児が、里親に引き取られるとその子は孤児ではなくなるからだとのお話など戦争孤児の置かれた厳しい事例が報告されました。
〈2〉「わたしが体験した対馬丸、沖縄戦、そして収容所生活」 講師:平良 啓子さん
- 対馬丸に実際に乗っていて漂流生活を体験された、平良啓子さんのお話を聞きました。啓子さんは母親と離れるとき、「来年の3月には会えるから、それまで我慢。泣かない。」と約束したそうです。船の中のとても暑かったそうで、救命胴衣を身に着けてよる眠りに落ちたそうです。
- 船が魚雷にされ海に転落してからは、流れていた醤油樽にしがみついていたそうです。台風15号の影響で波が荒く、船からの油が浮いた影響で、油で顔が覆われてしまい息できず死んでしまう子供たちが多くいたそうです。その壮絶な体験をお聞きしました。
〈3〉「大学生から見た沖縄の基地問題」 報告者:琉球大学学生
- 沖縄に住んでいる学生からすると基地「問題」という意識があまりないそうで、必ずしも学生や若者たちにとって基地問題が大きなテーマとなっていないことが報告された。
〈4〉参加者交流会
- 現地参加者同士が4~6人のグループに分かれ、講演を聞いて率直な感想など意見を出し合い共有しました。
講演会後の交流会 |
【2】3月24日(金) 現地視察/沖縄本島の中部・北部
〈1〉小桜の塔・対馬丸記念館
- 船の中のルールとして、「勝手に看板に上がってはいけない」「海にゴミを投げ入れてはいけない」「騒がない」があったそうです。対馬丸は古い船でしたが、一番大きいから大丈夫だと言って住民の不安をなくしていた。
- 子供たちは、本州に旅行に行くような感覚で楽しみにしながら乗っていったそうです。 船は対馬丸に住民を乗せ、他2隻に荷物をのせ、2隻の護衛船と一緒に九州に向けて出発したそうです。対馬丸たちの通る航路上に米軍の潜水艦があることは、日本軍も把握しており、米軍も攻撃する船に子供たちが乗って疎開中だということは知っていたそうです。
〈2〉辺野古 米軍普天間飛行場の移転先
- 辺野古は浅瀬なので思うように埋め立てができないそうです。サンゴ礁などの海の生物が多くいる、きれいな海でグラスボートという船底が透明になっていて、海底が見られるものをお勧めしてもらいました。お話をしていただいた中村さんは、北海道から来られた方らしいです。
- 初めは年に50日は必ず浜に来るようにしていき、だんだん毎日来るようになったそうです。浜の自然を守るため座り込みをしているそうです。
〈3〉瀬嵩(せだけ)の浜、道の駅かでな
- 大浦湾は軟弱地盤なので埋め立てができず基地の建設は約15%から進んでいないようです。サンゴ礁があり、マングローブのおかげでとてもきれいな水をしています。
- 道の駅かでなからは、嘉手納基地が一望できました。 約3,700mの滑走路を2本保有しており、この長さは成田空港にある滑走路に迫るものだそうです。 この長い滑走路はすぐに建設できるようなものではないです。
〈4〉嘉数高台(かかずたかだい)
- 日米両軍が戦った激戦地。最初の激戦地の遺跡と慰霊碑を確認し、普天間基地を一望できました。
嘉数高台のトーチカ(防御用の陣地) |
【3】3月25日(土) 現地視察/沖縄本島の南部
〈1〉ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念館
- ひめゆり平和祈念館は沖縄戦から生き延びた女学生たちが、友人たちのことを知ってほしいという思いを多く込めて建てられたそうです。
- 戦場に出る前は、ずっと日本が勝っているという報道しか聞いていなかったので、一週間ほどで普通の生活に戻れると思っていたそうです。また、解散命令後にはいきなり銃弾が飛び交う戦場に放り出され、友人たちと必死に逃げていたそうです。
〈2〉轟の壕(とどろきのごう) 周辺住民の避難壕・巨大なガマ
轟の壕 |
平和の礎 |
- 壕の中は懐中電灯を消すと、本当に真っ暗で何も見える物はありませんでした。匂いも少し変なにおいがしていて、私が壕の中にいる間の時間だけでも、くらくらしてしまいました。
- また、昼間は静かに見つからないようにし、夜は外へ食料を探しに出て生活をしていたそうです。泣き止まない子供は殺され、子供を連れている母親は入れてもらえなかったそうです。
〈3〉平和の礎(いしじ) 沖縄県営平和記念公園
- 沖縄から平和の波が世界へ伝わるように平和資料館も、円状になるように設計されているそうです。火が長崎と広島から移され、スイッチを押すと灯がともるようになっています。
- 未成年の子供たちが兵隊として招集されていたので、親の許可が必要でした。国民学校の学生さんたちでしたので招集を断ると奨学金をすべて返せと軍に言われていたそうです。
〈4〉魂魄の塔(こんぱくのとう) 本島南部の最後の激戦地
- 学徒隊が最後に逃げるときに通り米軍に捕まったという海沿いを見せてもらいました。隠れるような場所は全くありません。
【4】全体を通しての感想
- 沖縄には米軍基地がありますが、私が今住んでいる佐世保市にも米軍の基地はあります。今基地内でマックのバイトをさせてもらっていますが、そこのアメリカ人の人たちはみんな優しくて、基地内に入るときもお店に来てくださった方も最初に笑顔でおはようございますと言ってくれます。
- バイト先の大人の方には米軍の方と結婚している方や、塾の子供たちの中には両親が自衛隊の子も少なくありません。ガイドの横山さんにバスの中などで案内してもらっているとき、同じ組織があるのに場所や条件によってこんなにも違うことに衝撃を受けました。
- また、基地内のアメリカの大学に私たち佐世保校の学生は通うことができます。スクールバスも出してくださっていますし、入学に必要なスキルとして英検2級が求められますが、そこまで難しくもないので留学に行くことよりハードルが低くなっています。責任者や担当の方の意識や目標の違いで、アメリカと私たちの距離感が全然違うなとその時は感じました。
- しかし、お店には多分バイトでおそらくハーフの子やアメリカ人の子かなっていう子がいたので、その辺りは佐世保と同じでした。また、 基地内でも暴力事件が多いと横山さんが言っておられました。
- これらの思ったことは、このピースアクションで学んだり聞いたりしたことが基準となってしまっているので、実際はもっと違う現実があり知ったら考えが変わっていくと思うので、調べてみたり沖縄出身の先輩や同級生に話を聞いてみたいなと思っています。