県連トピックス
2021ピースアクションinナガサキが開催されました。
2021年8月7日(土)~8月8日(日)に2021ピースアクションinナガサキが開催されました。
今年の開催テーマは「戦争も核兵器もない平和な未来を~被爆76年ナガサキの想いを継承し、家族・地域の中で語り合おう~」、そして開催目的は「76年前のきのこ雲の下の出来事」「被爆地ナガサキの想い」を継承・交流し、未来をつくる次世代が平和な世界でくらせるよう、私達一人ひとりの行動につなげます。として取り組んできました。
残念ながら今年も昨年に引き続き新型コロナウィルス禍で全国から長崎に来てもらうことはできませんでした。しかし、企画を工夫し組み立ててオンライン開催となりました。昨年の反省を今年のオンラインに生かして準備し、全国から多くの方々が参加でき、またYouTubeで気軽に見ることができるという企画と今回は公開動画を準備して多くの方に参加していただける内容になりました。
長崎の分科会の視聴者総数は1451人、虹のひろばは360人でした。(集計期間8/6~8/8)
8月7日(土)「オンライン子ども平和会議」(10:00~12:30)
子ども平和会議ナガサキ学習講演 調様 |
「戦争や核兵器の使用など、争い事をなくすために私たちができること」をテーマに考え、交流しました。昨年同様今年も広島と長崎合同で行いました。今回北は宮城から南は沖縄までの総勢68名が参加しました。
まず、司会進行のララコープ井手さんから議長団の4人、広島の寺田ほなみさん、岩城れいさん、長崎の開田爽音(かいださやね)さん、橋村果也乃(はしむらかやの)さんの紹介がありました。その後は議長団によって進行し、広島の被爆の実相と活動の紹介「ヒロシマと私たち」を広島出身の中村園美さん、岩本理沙さんがを分かりやすく説明されました。
次に長崎の被爆の実相をピースバトンナガサキの調仁美さんから説明がされました。
その後13グループがそれぞれ交流を行いました。グループ毎に自己紹介、自分が住んでいる地域の戦跡や戦争体験者や被爆者の証言を調べてみる、自分の住んでいる地域ではどんなん併話活動が行われているか調べてきたことを発表。そして各グループ進行してくれるリーダーが中心となり「争いごとをなくすためにわたしたちにできること」を参加者で意見を出しグループ毎にまとめて発表しました。グループ毎にまとめたものを更に「2021子ども平和会議inナガサキ」アピール文としてまとめ、翌日の虹のひろばで議長団が発表しました。
活水議長 リーダーのみなさん | 子ども平和会議司会進行ララコープ 井手会長 | |
子ども平和会議 | 子ども平和会議 | |
子ども平和会議 | 子ども平和会議 |
企画参加者68人 視聴者数89
8月7日(土)被爆の証言「平和の紙芝居」(14:30~15:30) ~三田村静子さんの紙芝居~
平和の紙芝居 三田村さん | 司会進行のララコープ 大田尾さん |
三田村静子さんは3歳8ヶ月の時、爆心地より5km福田の自宅縁側で兄と2人の姉の4人で食事中に被爆。後年、2人の姉がガンを発病し、三田村さん自身も三度ガンを患うなど体の変調に苦しんできました。現在、被爆者の体験を紙芝居にして学校等で上演し、原爆の悲惨さ、愚かさの継承に努めています。ララコープ大田尾さんの司会進行で「黒こげの少年」聴け!平和の叫びを、見せていただきました。今回の紙芝居を作るにあたって、「黒こげの少年」の妹さんに聴き、またいろんな人に聴いたり、調べたり、更に図書館で調べたりして作り上げました。被爆者がいなくなっても紙芝居だったら子ども達に伝えられること、また作品は生協ララコープにあり無料で貸し出していること等をお話しされました。
視聴者数221
(参加者の感想)
- すごく心にしみる紙芝居でした。久しぶりの紙居でしたけどとても引き込まれました。
- 他の作品も見てみたいです。
- 紙芝居という形で活動されることで子供達向けに吸収されていく、その想いに心を打たれました。
- 胸に迫るお話ありがとうございました。被爆者、お一人お一人にそれぞれの被爆体験があるという言葉に、他の紙芝居もお聴きしたいと思い、もっと知らなければならないという気持ちになりました。
- 三田村さんの語り方が、ゆっくりと心にしみて、とても良かったです。
- 黒こげの少年や骨になっている人にも、人生があって、すべて詳しくわからなくても、人となりがわかり、生きたかっただろうという思いも伝わりました。今日もとても暑くこの8月に行われることに意味があるんだなと思いました。ピースボートのお話では、戦争は、みんな被害者であり加害者なのだと感じました。
8月7日(土)被爆の証言(17:00~18:25) ~城臺さんに聴く被爆の証言~
被爆の証言司会進行のララコープ 井手会長 | 被爆の証言 城臺様 |
城臺さんは当時6歳。爆心地より2.4km離れた山陰の立山町で被爆。自宅内に居た事で外傷もなく、落ち込んだ床下から助け出された。その後、金毘羅山中腹にあった防空壕で数日過ごし、旧市内が真っ赤に焼けていくのを見た。数日、敵機が頭上をぐるぐると低空飛行し、恐ろしい記憶として残っているが、後日、被爆後の長崎を偵察に来たと知る。教職在職中、戦争や原爆について充分に伝えられなかったので、今「長崎を最後の被爆地に」と語っている。
当時の生活や状況等が詳しく説明され、また原爆によって人口24万人の内その年に8万人位の方々が亡くなられた話等、被爆された方々の悲惨な状況、当時の写真、絵等で丁寧にわかりやすくお話しされました。
視聴者数172
(参加者の感想)
- 城臺さんのお話はとてもわかりやすかったです。長崎の原爆投下に状況やそこで生活していた人たちの様子を知ることができました。
- いつも子供たちにお話ししているとのことで、とてもわかりやすくでも詳しいお話でした。この暑いときに、突然不条理になくなっていった方々のことを思うと、戦うことに皆の心を導いていった前人の間違いを歴史として教訓としてもう一度大人が学ばなければと思いました。
- 具体的なデータに基づいたお話が、とてもわかりやすく、リアルに当時に思いを馳せることができました。一部の人の痛みのわからない人間のせいで、どれだけの罪のない人々が犠牲になったことか、恐ろしさや憤りが直に伝わってきて、私自身もこのような愚行を二度と繰り返さないために、何ができるか考えさせられました。
- 体験をお話しされるだけでなく、何故長崎だったのか?何故原爆が落とされたのか?何故?を突き詰められ、日本国憲法の戦争放棄を真に大切にされていること、次世代に伝えなければ、との想いが伝わってきました。有名な写真もありましたが、背景は知らず、説明いただいて、衝撃を受けました。とても考えされられるお話でした。
「被爆の証言」8月7日(土)公開動画 ~松本美都恵さんに聴く被爆の証言~
松本美都恵さんは当時3歳。自宅は爆心地から2.1㎞の西坂町にありましたが、その日は朝から母におんぶされて疎開先に決まっていた長与(爆心地から4)に向かいました。母の背中から降りたその時、強烈なオレンジ色の光が当たりを照らしました」。両親や松本さんは無事でしたが、同居していた叔母は行方不明のままです。3歳だったので記憶はとぎれとぎれですが、あの光を見たものとして、伝えなければと思って活動されています。
視聴者数174
(参加者の意見)
- 広島の原爆の話は、実際語り部の方から直接聞いたことがありますが、今回長崎の原爆の話を聞かせていただきました。被爆国として、体験談を語り継ぎ、現在の世界の中で起こりうる戦争がなくなり、核保有のない世の中になる事を、切に願います。
- 松本さんが被ばくされた時は幼く、記憶をたどるのは大変な作業だったと思います。子供の感性というか、怖いものを感じる力は、すごいですね。戦争で傷を負った背中を見ても嫌な顔をせずそのままを受け止める素直な気持ちと優しさが子どもにはあるんですね。
- 松本さんが記憶をたどって話して下さった1日を聞いて、あの日生き延びられた方も亡くなった方も運命なのかもしれませんが、やっぱり原爆投下されなければ、未来があったと思います。戦争がない世の中が永遠に続くように努力しなければならないと思いました。
- ご自身の辛い体験を、このように語ってくださりありがとうございます。想像をしながら拝見し、涙が出ました。この体験談を、一人でも多くの方にみていただき、広島、長崎の事を忘れずに後世に受け継いでほしいと思いました。
「家族・交流証言者による講話」8月7日(土)公開動画 ~河野正二さんによる被爆者田川博康さんの講和~
田川さんは被爆当日は新興善国民学校6年生の12歳。昭和20年4月の強制疎開後、両親は竹の久保町の工場に住んでいました。田川さんは鳴滝町で被爆。原爆投下を目撃し、至近弾と思い、多少の外傷を受け、両親の救護を待ちました。2日後、爆心地は浦上方面と知り、悲惨な原爆野を歩き、両親を工場付近の防空壕で救助しました。重症の父と軽傷の母と防空壕に2泊した後、時津に避難しました。父は滑石の臨時救護所で手術後、18日に死亡。軽傷の母も22日に一時被害で死亡しました。この被爆者田川博康さんの体験を河野正二さんが継いで語りました。最後に田川さんからのメッセージが紹介されました。「国民が平和に対する強い願いを持ち続けることが一番大事なことです。」
視聴者数152
(参加者の意見)
- 被爆者、語り部の方々の高齢化によって戦争の体験が風化してしまうことが怖いと感じていたので、このような活動をされている方がいることはとても心強く感じました。田川さんや河野さんのお母さまが長い間当時のお話をされなかったことを聞いてかえってその体験の大きさを感じました。残酷で悲しいことが多く、決して同じことがないようにと思いました。最後に河野さんがおっしゃていたことも響きました。小さなことでも何か行動をしようと思いました。
- 最後の「平和は作り上げるものです」印象に残りました。
長崎の被爆75年の歩みと平和への取り組み 8月7日(土)公開動画
長崎の歴史、キリシタン弾圧、浦上天主堂の原爆による被害、慢性骨髄性白血病と闘いながら原爆被災者の救援に明け暮れ43歳で亡くなった永井隆博士が生活していた如己堂、山王神社の一本柱鳥居、被爆クスノキの紹介、城山国民学校は在校児童1400人の内1300人が亡くなり、当時が学校にいた三菱兵器製作所所員と学徒報国隊隊員100人が死亡、そして城山国民学校で学徒報国隊隊員として勤務していた林嘉代子さんのお話等を入れた映像となっています。
視聴者数221
(参加者の感想)
- 原爆の実相について、とてもつらい内容ですが、現実から目を背けてはならないと思いました。想像を絶する地獄だったということが、とても伝わってきました。次の世代に伝えていく責務があると思いました。
- 15年前になりますが、浦上天主堂へ行きました。ちょうどミサの時間で、堂内にはおじゃませず、平和記念公園へ向かいました。この次長崎へ行くときは、子ども達を連れて、戦争と平和を伝えたいと思います。
- 長崎には行ったことがないので、原爆に関する地域映像を見ることができて大変勉強になりました。今後も同様に動画で活動や地域の紹介をしてほしいです。
「被爆体験記の朗読会」8月8日(日)(10:30~11:50) ~永遠の会による被爆体験記朗読会~
被爆体験記の朗読会 本村さん(手前)と坂上さん(奥) |
司会のララコープ 新山様 |
被爆体験の朗読を目的とした朗読ボランティア「被爆体験を語り継ぐ永遠の会」による被爆体験記の朗読。今回は本村妙子さんと坂上瑛子さんによる被爆体験記の朗読、基礎知識や背景等も説明頂きながら、被爆の実相と平和を願う想いが伝えられました。
今回は原子爆弾について、「長崎の鐘」「この子を残して」永井隆、「ある被爆乙女の死」田口通子、「長崎・原子爆弾18日間の記憶」カトリック修道士小崎登明、詩「無題」山口カズ子を朗読しました。「平和の原点は人の痛みがわかる心を持つ」小崎さんのこの思いをしっかりと伝えていきたいと思います。長崎に落とされた原爆でどんな事が起こったのか聴いていただきました。
今地球上に13000発以上の核兵器があります。核兵器の恐ろしさは世界に、いや日本中にも充分に伝わっていません。核兵器のない平和な世界を作るためにできることは何でしょう、一緒に考えていきましょう。次の世代の人たちが夢に向かって頑張れる平和な世界でありますよう、永遠の会は朗読によって被爆の実相、平和への想いを伝え続けていきます。と締めくくりました。
「永遠の会」は平成30年度から国の派遣事業として全国に無料で出向いて派遣朗読ができるようになりました。おととしは沖縄から北海道まで全国で98件開かせていただきました。
視聴者数181
(参加者の感想)
- 永井博士の被爆時の記述がまるでスローモーションの映像を見るようでした。
- 小崎さんの話できれいごとではない正直な気持ち、心の弱さを聴くことができ、とても貴重でした。自分が困難に直面した時に人を助けられるのかわかりませんが、考えさせられました。
- こういう風にお話を聴く事で、忘れてはいけない事を思い出させる機会がある事、とてもありがい事と思います。思い出したくない記憶も、次世代に受け継いでいき、二度と繰り返さないようにする事、本当に大切だと思います。
- 76年前に起きた事、死を通じて生々しく、その悲劇を、その後の人生をお聴きし、胸が詰まりました。忘れてしまう事より今ある平和が脅かされてしまう事を深く胸に刻みました。
8月7日(土)公開動画 ~長崎の被爆76年の歩みと平和への取り組み~
長崎の歴史、原爆による被害、影響等を紹介したものです。
「虹のひろば」8月8日(日)13:30~15:45
司会の古田さん |
オープン企画として組み立て、参加登録不要で参加頂き、YouTubeで配信され多くの方が見られるようにしました。
古田沙織さん(NBC長崎放送)の司会により進行、オープニングは瓊浦高校瓊琉會の和太鼓演奏を予定していましたが、諸事情で銀屋町鯱太鼓保存会13名による「昇龍」の力強い演奏でスタートとなりました。その後世界の恒久平和を願い、原爆投下をはじめ戦災で亡くなられた方々を追悼し1分間の黙祷、そして「長崎を最後の被爆地に」の動画放映がされました。
長崎市長田上冨久様より来賓あいさつをいただきました。そして広島市長 松井一實様より動画によるメッセージが紹介され、日生協土屋会長が東京から挨拶されました。
田上長﨑市長 | 広島 松井市長 |
日生協 土屋会長 |
基調講演「核兵器禁止条約を力に核廃絶に向け手をつなごう」
田中重光 会長 |
長崎原爆被災者協議会 田中重光会長より「核兵器禁止条約を力に核廃絶に向け手をつなごう」と題した基調講演が流されました。田中重光会長は「核兵器のない世界というのがまもなくやってくると思います。特に若い世代、40代、50代の人たちがもっともっとこの平和の問題、核兵器の問題に関心を持って頂いて、是非子どもたちにも本当に戦争のない、核兵器のない世界をみんなで作っていってもらいたいと思います」とメッセージをいただきました。
高校生平和大使活動報告
後半は第24代高校生平和大使代表安野由布里(やすのゆうり)さんと川端悠(かわばたはるか)さんから高校生平和大使の活動報告があり、メンバーである石本さやさん、井上あゆみさん、渡海碧さん、橋本果林さん、バンダービーン新愛さん、前川祥多郎さん、吉田愛妃子さんも応援参加。
「微力だけど無力ではない」は高校生平和大使の中で生まれた言葉です。私達の1年間の活動では世界を変えれる大きなものではないが、24年間も続けてきました。24年間積み重ねというものはとても大きな意義をなしていると思っています。市民団体でも我々のような一般人でも世界を変えられるというのは、まさに核兵器禁止条約がそれを表していると思っていて、核兵器禁止条約にはICANという市民団体が関わっており、そのICANが世界中で核兵器禁止条約の必要性を訴えてきたことで、国連で採択され発効されるまでに至っています。これは市民団体の力の偉大さというものがまさに実証されたと思います。核兵器禁止条約というのはまだ効力がとても小さいものですが、核兵器禁止条約を育てていくのも私たちの責任だと思います。と安野さんは語りました。
高校生平和大使 | 安野さん 川端さん |
被爆ピアノ演奏
広島より被爆ピアノをお借りし高野萌々香さんと時津凛花さんが連弾で「夏の思い出」「お母さんの歌」「山で」「カーニバルがやってきた」を演奏しました。
演奏する2人 | 左:時津さん 右:高野さん |
普段から二人は一緒に練習しています。今回の演奏の感想は、ちょっと間違ったりしたけど楽しく弾けました。この被爆ピアノについて普段弾くピアノとの違いについてお二人の感想は、「いつもより弾きやすかったです(」高野さん)、「いつもよりこのピアノのほうがよく響きました」(時津さん)
子ども平和会議アピール文発表
そして前日開催した子ども平和会議アピールを広島の寺田ほなみさん、岩城れいさん、長崎の開田爽音(かいださやね)さん、橋村果也乃(はしむらかやの)さんが発表。
議長団 | 長崎議長団 |
2021ピースアクション 子ども平和会議アピール
2021年になり原爆投下から76年が経ちました。昨日、私たちはオンライン子ども平和会議で戦争や平和のことを話し合いました。76年の年月のなか、戦争は過去・昔のことととらえる人が多くなっています。しかし戦争は今でも起こりうるものです。自分ごととして考えることが大切です。
昨年、新型コロナウィルス感染症が流行し、私たちの日常生活が大きく変化しました。私たちの平和活動も制限され思うようにできなくなりました。しかし、コロナ禍だからこそ、新たな活動方法があることに気づきました。たとえば、今回のようなオンラインでの交流です。オンラインでは興味があれば気軽に自宅から参加できます。
私たちは、被爆者の話を聞ける最後の世代と言われています。被爆の実相や被爆者の想いを知るだけでなく、伝えていくことができます。10年後、20年後を考えるとき、私たち若者の行動がカギになります。
戦争は国や地域同士で意見の食い違いにより起こります。自分の意見を貫き通すために争うのではなく、大切なのは話し合いで問題を解決することです。お互いがお互いの意見を尊重し、自分と違う意見をまずは受け止め、どう解決するかを決めましょう。これは、あなたと周りの人との間でも、きっと、出来ることです。あなたの隣にいる人の意見を受けいれることが、平和への第一歩になります。違う意見を恐れずに、まずは、聞き、話し合いましょう。
2021年8月7日オンライン子ども平和会議 参加者一同
被爆者歌う会「ひまわり」
そして被爆者歌う会「ひまわり」による歌が流されました。曲目は「もう二度と」「長崎の女の子」「祈り~母と娘の歌」
ひまわり |
ひまわり |
そして最後に長崎県生活協同組合連合会会長理事の本田稔より挨拶がなされ終了しました。
本田会長 |
(視聴者の感想)
- ピースアクションもついにラスト企画であとわずかですね。あっという間でした。和太鼓のパワフルさが響きます。感動しました。
- はじめの長崎の鯱太鼓保存会の人達の見事な太鼓、盛岡はさんさ踊りもなかったので、夏の太鼓がこころに響きました。そして、響き渡る鐘の音が「長崎なんだ-」と思わされました。
- 「長崎を最後の被爆地へ」 歴史を感じる「映像」の中には、だれもいない 壊滅した市内の動画、信じられない映像でした。ナガサキの平和祈念像は、右手は原爆の脅威を左手は世界の平和を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているとのこと。長崎に行っても知り得ないことが、映像で知り得ることが出来ました。
- 様々な「入口」からの平和活動へのアプローチがあって良かったと思います。特に、現在の長崎と被爆後の長崎の映像は、長崎のことをよく知らない人にも理解しやすいものだったと思います。
- 高校生平和大使の皆さんの力強い言葉、とても素晴らしかったです。私も勇気をもって、家族や友人に伝えていきたいと思います。
- 高校生平和大使の方々の取り組みに感銘を受けました。たくさんの方々、とくに若い人たちに知ってもらい、活動を広げてほしいです。「核兵器禁止条約はまだ小さな力、育てて行きたい」という言葉に未来への希望が見えた気がします。これからも頑張って下さい。微力ながら、協力したいと思います。
- 被爆ピアノ、感動しました。
- 長崎の被爆ピアノ演奏もとても素敵でした。高校生や子どもたちのアピール文もとても頼もしく思います。このような子どもたちがいるなら、日本はまだまだ大丈夫ですね。参加出来て良かったです。
- 子ども平和会議のアピール文の内容がとても良かったです。また、4人で分担して読んだのも、それぞれの気持ちが込められていて良かったと思います
- 子ども平和会議のアピール文の中には「自分の意見を貫き通すために争うのではなく、大切なのはお互いの意見を尊重し、自分と違う意見をまずは受け止め、どう解決するかを決めましょう。意見を取り入れることが、平和への一歩になる。違う意見を恐れずに聞き、話し合う。」という言葉に「あれ、うちの家庭のことかな。旦那にも聞かせたい」と思いました。
- 被爆者による合唱団の「被爆者歌う会 ひまわりのうたごえ」の合唱を聴きました。うたごえが涙を誘い、こころが浄化されるような…。 こころに響きました。
- 平和を考える、平穏な日常を過ごしている今このとき、ありがたいと想い。
あの日の瞬間を体験された、また語り継がれてきたことをあらためて、心に刻み。また今日から、この時間を大切に生きていこうと考えさせられ、涙がでました。 - 「長崎を最後の被爆地に」カラーの映像があるのですね。信じられない光景です。
- 田上市長の挨拶に対して
- 平和を考える入り口をたくさん作っていきたいですね。
- 多様な継承方法が必要ですね。知恵を絞っていきたい。
- ピースアクションの企画で紙芝居の被爆の証言を伺いました。直接のお話ではなく、いろいろな形で継承はできるのですね。
2021ピースアクションinナガサキに参加頂きました皆様本当にありがとうございました。