県連トピックス

2019ピースアクションinナガサキが開催されました。

 2019年8月7日(水)~8日(木)に2019ピースアクションinナガサキが開催されました。

 今年は「戦争も核兵器もない平和な未来を ~ナガサキ・ヒバクシャの想いを継承し、日本・世界に広げよう~、「74年前のきのこ雲の下の出来事」「被爆地ナガサキの想い」を継承し、平和な未来を築くために私たち一人ひとりの行動に繋げます。を開催目的にして、全国から52生協1150名の参加がありました。今年も台風が接近して開催を心配しましたが、長崎をはずれて無事開催する事が出来ました。今年は分科会を9会場と「子ども平和会議」を開催しました。参加された皆様ありがとうございました。

8月7日(水) 生協平和のまち歩き(原爆資料館コース)

原爆資料館コース

 参加者5生協23人(大人23人)、原爆資料館は、被爆の惨状を示す多くの資料を大切に保存・展示するとともに、原爆が投下されるに至った経過や核兵器開発の歴史など、ストーリー性のある展示を行っています。長崎市内浦上上空で原子爆弾が炸裂し焼き15万人の人々が命を落としましたが、プロジェクションマッピングで原爆の被害状況が目で見られるようになっています。

生協平和のまち歩き(山王神社コース)

片足鳥居

 参加者9生協23人(大人21人児童2人)、爆心地から約900mにあった山王神社。金比羅山への道筋にあったこの一帯は、熱と煙それに恐怖から逃れるように被爆者達がぞくぞくと山を目指して地獄絵さながらに避難していきました。爆風に耐え、それらを目の当たりにしてきた鳥居。半世紀を過ぎた今も“被爆の証人”として一本柱で立ち続けています。(片足鳥居)

生協平和のまち歩き(平和公園コース青少年ガイド)

平和公園コース

参加者11生協37名(大人32人児童5人)、長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めまた公園周辺を巡りました。浦上には、当時いくつもの軍需工場があり、働いていた学生など多くの人々が犠牲になりました。

被爆の証言(被爆体験記の朗読・被爆体験を語り継ぐ永遠の会)

 参加者5生協32人(大人32人)、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館にて、2014年に「被爆体験記朗読ボランティア育成講座」が始まり、2年間の研修終了後、登録メンバーで活動を始めました。現在は40代から80代の80名。一人でも多くの方に被爆の実相と平和を願う思いを伝えるため、主に追悼記念館内での朗読や依頼先への派遣、定期朗読会などの朗読と、体験記の発掘に取り組んでいます。今回は大塚さんと二田さんに朗読していただきました。

 
大塚さん(左)と二田さん(右) 参加者

証言と紙芝居(証言 早崎 猪之助さん、紙芝居 三田村 静子さん)

 参加者17生協100人(大人75人児童25人)、三田村さんは、小学1年の時に被爆し、家族5人を亡くした菅原耐子さんの被爆体験をもとに作った紙芝居で話を。また早崎さんは、当時14歳、爆心地より1.1kmの三菱長崎兵器製作所の技術部実験場で被爆。ご自身で描かれた絵を見せながらの被爆体験を話されました。

 
三田村さん 早崎さん

8月8日(木) 生協平和のまち歩き(城山小学校コース)

城山小学校

 参加者4生協20人(大人18人児童2人)、城山小学校は原爆落下中心地よりわずか500mの所に位置し、1400余名の児童と職員が尊い命を失うという大きな被害を受けました。被爆後も教室として使用していた被爆校舎を新校舎建設にあたり一部を被爆遺構として残し、児童の発案により平成11年(1999)2月に改装。現在、被爆時の遺物などを展示する城山小平和祈念館として残しています。

生協平和のまち歩き(浦上天主堂コース)

 参加者10生協58人(大人53人児童5人)、原爆落下中心地や浦上天主堂を見学するコース。昭和20年(1945)年8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂、現在、落下中心地標柱として昭和43年(1968)に建立された黒御影石の碑が立てられており、園内には被爆当時の地層も残されており、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没しています。

 浦上天主堂は爆心地から北東へ約500mの地点で、30年の歳月をかけて建てられました。当時は赤レンガ造りの、東洋一といわれた大きな教会でしたが、原爆の日、一瞬のうちに爆風で崩壊、火災で屋根と床の可燃物は焼失し、聖堂、司祭館などは堂壁の一部を残して敷地内にあった聖人像などの石像もほとんどが大破しました。双塔の鐘楼の片方は天主堂内部に倒れ、他方は近くの川へ転げ落ちました。

 
原爆落下中心地 浦上天主堂

被爆の証言(清野さんに聴く被爆の証言)

清野さん

 参加者12生協56名(大人54人児童2人)、清野さんは被爆当時8歳、12km離れた深堀村の寺で遊んでいる時、爆風にあおられました。これは広島に落とされたピカドンと同じで恐ろしいものだと解り、兵器工場に動員されていた姉が無事だったので、兄、妹の4人で佐賀県へ疎開しました。爆心地を通り道ノ尾駅まで歩いた時に見た残虐極まりない死傷を受けた多くの人たちの痛恨の叫びと、無傷だった姉が1週間後、放射能障害を発症して逝った無念な思いを語られました。

被爆の証言(小峰さんに聴く被爆の証言)

小峰さん

 参加者14生協57名(大人52人児童5人)、小峰さんは被爆当時4歳8か月、爆心地より1.5kmの自宅近くの畑で被爆」。両手、両足、お腹を火傷し、足は3回手術を受けました。右足首は曲がらず、横歩きで小学校に通学しました。「腐れ足」「鳥の足」「ガネ」とあだ名され、いじめられました。真っ直ぐに歩けるようになったのは4年生の3学期でした。「戦争や原爆の恐ろしさを次の世代に伝えていくことが被爆者の役目」と、現在語り部として活動しています。

2019子ども平和会議inナガサキ

調さん

 全国から小学生から高校生まで9生協44人の子ども達が参加、それぞれ7つのグループに分かれてグループ内で自己紹介をしました。そして県内の小中学校を中心に平和学習の講師をされているピースバトン・ナガサキの調べ(しらべ)さんの平和学習があり、その後それぞれが事前に平和について学習してきており、みんなで「戦争や核兵器の使用など、争い事をなくすために私たちができること」をテーマに交流し、グループごとにまとめたことを発表しました。また交流の内容をもとにアピール文を作成しました。

 
子ども平和会議① 子ども平和会議②
平和の木

 8月5日に広島で開催された子ども平和会議inヒロシマの参加者が大切だなと思ったことを書いて貼った「平和の木」に、ナガサキの参加者もメッセージを書いて貼ってできた「平和の木」です。

 「平和の木」は虹のひろば会場のロビーに貼って参加した皆さんに読んでいただきました。

虹のひろば

 全国52生協700人の参加で開催されました。オープニングは長崎大学チアリーディング部BERRIESの9名による演技、メンバー全員大学に入ってからチアリーディングをやりだしたそうです。

 
会場内の様子 チアリーディング部
田上長崎市長

 田上長崎市長より「ピースアクションinナガサキ」を通して、戦争のない平和な社会の実現のため熱心に活動を続けておられる参加者に敬意を表します。と挨拶をされ、その後「今日は私の親戚がここに来られています」といって登場された松井広島市長。会場からはどよめきと拍手が起こりました。松井市長の挨拶の後、田上長崎市長と松井広島市長は核兵器廃絶を誓い、固く手を握りあいました。

 
松井広島市長 田上長崎市長と松井広島市長
 
日生協本田会長 参加者

 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)中村 桂子 准教授による「核兵器のない世界は実現できる?」のテ―マでの講演、最後に現在存在する核兵器13,880発の数をBB弾で感じさせる演出がありました。

 
講演する中村先生 中村先生の質問に答える参加者
 
BB弾による演出 核兵器の数の多さと音に驚く参加者

 長崎市立長崎商業高校美術部による「丸田和男さんの被爆体験紙芝居」は、丸田和男さんから直接話を聞きとりながら、被爆体験を約半年かけて紙芝居にしました。被爆者の高齢化が進む中、交流証言者といわれる人たちが被爆体験を語り継ごうとしています。その際に使用されるのが、被爆者の体験に沿った絵です。今回は美術部が作成した紙芝居を放送部が朗読しました。

 
朗読する放送部 美術部と放送部

光岡華子さん「“人と人”でわかり合えること」

 光岡さんは、長崎県・長崎市・長崎大学の3社で構成された核兵器廃絶長崎連絡協議会が主催する人材育成プロジェクト、ナガサキ・ユース代表団の第5期生として活動され、その後はピースキャラバン隊の活動を続け、現在は大学院に通いながら活動をサポートされています。実際に活動したときの経験を話しました。

 そして4歳の時、爆心地から6km離れた時津長で被爆。元国鉄職員で退職後長崎市に戻り、被爆運動に本腰を入れ、講話や被爆者への相談員としても活動されている、長崎原爆被災者協議会田中重光会長が参加者にメッセージを述べました。

 
光岡華子さん 長崎被災協田中会長

 子ども平和会議inナガサキ参加者全員がステージに上がり、平和会議で作成したアピール文を議長団が読み上げました。

 
アピール文を読む子ども平和会議議長団 子ども平和会議参加者

平和アピール文

 今の若者は、いつナガサキに原爆が落とされたのか正確にいうことができません。今日は、2019年8月8日、明日で長崎への原爆投下から74年がたちます。被爆者の高齢化により、被爆者の生の声を聞く機会が少なくなっている中、私たち若者が次を担う世代として行動していかなければなりません。

 そのために「どうしたら戦争や核兵器の使用など、争い事がなくなるのか」というテーマで話し合いました。その中で出た意見をまとめると、「身近なところから争い事をなくし、それを広めて、国民の意見として、政治に反映させる」ということでした。

 つまり、身近な友達同士のけんかをなくし、もしけんかしたとしても、すぐに謝り、思いやりの気持ちを持つことが大切なのです。また、一人一人が戦争や平和について考えて知識を持ち、それを周りに広め行動に移すことで、国すら動かすことができるのです。

 一人一人の力は小さいですが、同じ思いを持って行動する人が集まることで、大きな力を生むことができます。私たちが行動しなければ何も始まりません。核や戦争のない世界の実現に向けて、一歩踏み出しましょう。

2019年8月8日 子ども平和会議inナガサキ 参加者一同

 そしてフィナーレは被爆者歌う会ひまわりの皆さんによるコーラス、今年は「浦上」「長崎の女の子」「もう二度と」の3曲を歌いあげました。

 
ひまわり ひまわり
 
会場 ロビー

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