県連トピックス
2018ピースアクションinナガサキが開催されました。
2018年8月7日(火)~8日(水)に2018ピースアクションinナガサキが開催されました。今年は「被爆の証言」3会場、平和のまち歩き6コース、昨年に引き続き子ども平和会議が行われ、全体で50生協1,110人の参加。また今年は各地で高温のため熱中症が多発し、まち歩きを心配していましたが、具合の悪くなる人もなく無事に終了する事が出来ました。全国から参加されました皆さまありがとうございました。
8月7日平和のまち歩き「原爆資料館コース」
3生協大人12人、子ども3人の計14人が参加。原爆資料館は被爆の惨状を示す多くの資料を大切に保存、展示されており、原爆が投下されるに至った経過や、核兵器開発の歴史などを展示しています。
長崎に投下された原爆の実物大展示や被爆当時の被害の広がりを見せるプロジェクションマッピングもあります。
「原爆落下中心地から浦上天主堂コース」
8生協大人37人、子ども12人の計49人の参加。
松山町171番地の上空約500mで炸裂した原子爆弾。その地の落下中心に地標柱が建てられています。この爆心地から北東約500mにあった浦上天主堂は一瞬のうちに崩壊、鐘楼の片方は近くの川に転げ落ちました。
「平和公園散策コース①」
2生協大人12人、子ども5人の計17人が参加。
「平和公園散策コース②」②(青少年ガイド)
10生協大人34人、子ども4人の計38人が参加。
原爆落下中心地の北側の小高い丘に平和公園があり、その中に原爆記念像がります。長崎刑務所浦上刑務支所跡等多くの方が犠牲となりました。
読み手三田村静子さん | 被爆の証言 早崎 猪之助さん |
「被爆の証言と紙芝居」(長崎原爆被災者協議会地下講堂)
11生協大人49人、子ども9人の計58人参加。三田村静子さんは3歳8か月で被爆、その後後遺症で苦しんできました。現在は被爆者の体験を紙芝居で伝えたり、被爆の証言をしたりしています。今回は小学1年の時に被爆し、家族5人を亡くした菅原耐子さんの話を元にした紙芝居をお話していただきました。
早崎伊之助さんは当時14歳、爆心地より1.1kmの三菱重工業長崎兵器製作所大橋工場の技術部実験場で被爆。上司の作業指示で実験場内の場所を移動したことで生死を分け、奇跡的に生き残り、生き証人として原爆投下1日の一部始終を語っていただきました。
8月8日平和のまち歩き「城山小学校コース」
5生協大人16人、子ども4人の計20人参加。
爆心地からわずか500mに位置しています。原爆投下時校舎内に生徒はいませんでしたが、作業を行っていた人たち138人が亡くなりました。教職員31人と児童の8割薬1400人が学校や家庭で爆死したといわれています。
「山王神社コース」
5生協大人35人、子ども6人の計41人参加。
爆心地から約900mの高台にあった山王神社は、原爆で社殿は跡形もなく崩れました。境内にあった2本のクスノキも枯れ木同然になりましたが1945年10月初め頃新芽を出し人々に復興の希望を与えました。参道には4つの鳥居がありましたが、現在は二の鳥居だけが残っています。
8月8日被爆の証言「大塚さんに聴く被爆の証言」
7生協大人45人、子ども6人の計51人参加。
大塚さんは当時13歳、爆心地から約3kmの新興善国民学校(現・長崎市立図書館)で被爆。自宅は全焼、2~3日後、叔父を訪ねて爆心地近くの工場や住居を捜し歩き、自身も救護病院で治療を受けました。20数年を経て弟、その妻、甥、母が奇病やガンで次々と死亡。三菱長崎造船所で働きながら核兵器廃絶運動に参加。現在、被爆体験を語り継ぐ活動を行っています。
8月8日被爆の証言「城臺さんに聴く被爆の証言」
14生協大人71人、子ども9人の計80人参加。
城臺さんは当時6歳、爆心地より2.4km離れた山陰の立山町で被爆。自宅内にいた事で外傷もなく、落ち込んだ床下から助け出されました。その後、金毘羅山中腹にあった防空壕で数日過ごし、旧市内が真っ赤に焼けているのを見ました。教職在職中、戦争や原爆について充分に伝えられなかったので、今「長崎を最後の被爆地に」と語っています。
2018子ども平和会議inナガサキ
昨年に引き続き開催され、8生協35人の子どもたちが参加しました。生協ララコープ金田理事の司会で進められ、ピースバトン。ナガサキ代表調さんによる学習のあと、それぞれの参加した子供たちが事前に自分たちの住む地域から戦争について学んできて、グループごとに意見を出し合いました。最後にみんなの意見をまとめてアピール文を作成し、虹のひろばで発表となりました。
2018ピースアクションinナガサキ「虹のひろば」
今年は50生協700名の方々が参加し、いよいよ開幕。市内の学童保育の皆さんも34人が参加しました。
NBC長崎放送アナウンサーの寄川さんが司会で全体が進行しました。
今年はピースアクションinヒロシマで安田女子大学書道部が書いた書を長崎の舞台に展示しました。
まずオープニングは鶴鳴学園長崎女子高等学校龍踊部の演舞でスタート。
「龍踊り」は長崎県の郷土芸能の代表格的存在です。その歴史は古く、今から三百数十年前の鎖国時代に、幕府統括の唐人屋敷に住む華僑の方々から教わったとされ、その後、時代の流れと共にアレンジが加えられ、今の長崎龍踊りの形になりました。
使用している龍体は長さ20m、重さは100kgを超えており、龍頭(じゃがしら)だけでも10kgあります。また龍体の色も赤色、これも龍踊り史上初めての物です。郷土芸能「龍踊り」を史上初めて女性だけで行っており、参加者の皆さんも見入っていました。
田上長崎市長の挨拶 | 主催者日生協和田専務の挨拶 |
田上長崎市長の挨拶、主催者日生協和田専務の挨拶の後に全員で黙とうしました。
1945年の長崎市の人口は約24万人でしたが、原子爆弾による被害者数は原爆が投下された年の12月末までで死者73,884人、負傷者74,909人と推定されます。
田中重光会長
長崎原爆被災者協議会田中重光会長は5歳の時に爆心地から約6km離れた時津町のご自宅で被爆されました。元国鉄職員で、1999年に退職後、長崎市へ戻り被爆者運動に本腰を入れ、講話や被爆者の相談員として活動されています。
柿田さん
柿田さんは長崎市出身の被爆二世、母親は21歳の時に爆心地より3kmで被爆。2012年「被爆二世の会」を仲間とともに結成。長崎市家族交流証言事業に参加し、母の被爆体験と山口仙二氏、谷口稜曄氏等の被爆体験を語る活動を行っています。またヒバクシャ国際署名県民の会事務局としても活動しています。
永遠の会
昨年8月に亡くなられました長崎原爆被災者協議会谷口稜曄元会長のラストメッセージを流し、谷口さんの想いを皆さんに伝えました。
次に被爆体験記朗読ボランティア「被爆体験を語り継ぐ永遠の会」の大塚さん、岩永さん、吉田さんによる永遠の会の紹介と被爆体験記の朗読をしていただきました。
参加した子供達
子ども平和会議議長によるアピール文の読み上げ。
午前中に開催されました2018子ども平和会議inナガサキに参加した子供達も全員舞台に上がり、採択された平和アピール文を議長の及川陽香さん(広島)、大家由紀子さん(広島)と田中 蘭さん(長崎)、船元結梨さん(長崎)がそれぞれ読み上げました。
フィナーレは被爆者歌う会「ひまわり」が、①もう二度と、②浦上、③いま私にできることは・・・を寺井さんの指揮で歌われました。寺井さんは足を痛められて車いすで指揮と歌を歌われました。翌日は長崎平和祈念式典でも歌われるというお忙しい中で今年も出演していただきました。
ロビーでは生協ララコープの原爆パネルが展示されており、参加された多くの組合委の皆さんが見ていました。