県連トピックス

2014ピースアクションinナガサキが終了しました。

 台風11号の影響で開催か中止かの不安な状況が続き、遠方からの会員生協では帰りの飛行機、JRの関係でキャンセルもありましたが、どうにか台風の動きが遅くなりずれたことで無事に開催することができました。

 このような状況の中にも関わらず、各県から参加いただき本当にありがとうございました。

 ピースアクションinナガサキでは

 8月7日(木)被爆の証言①に10生協、生協平和のまち歩き①(平和公園内散策)に6生協、生協平和のまち歩き②(城山小学校)に7生協、生協平和のまち歩き③(平和公園内散策)に5生協がそれぞれ参加

 8月8日(金)被爆の証言②12生協、生協平和のまち歩き④(浦上天主堂)に9生協、生協平和のまち歩き⑤(山王神社)に3生協がそれぞれ参加

 そして長崎市公会堂での「虹のひろば」には39生協650人が参加されました。

虹のひろば
オープニング
長崎大学よさこい部「突風」

長崎大学や長崎市内の学生約150人が所属、曲や振り付け、衣装などすべてオリジナルで作り上げ、年間を通じて様々なイベントや祭りで演舞するほか、小・中・高校を訪問し、よさこいの指導も行っています。

長崎大学核兵器廃絶研究センター 中村桂子准教授「核兵器廃絶に向けて私たちができること」

神奈川県出身、米モントレー国際大学大学院(国際政策学)修了。2012年4月RECNA開設に伴う意長崎大学に赴任。2012年3月までは特定非営利活動法人ピースデポ(神奈川県横浜市)の事務局長として、核軍縮、核不拡散問題に取り組んでいました。

リレートーク

被爆者の体験や核廃絶を求める思いを受けて、次世代を担う若者たちが平和への思いを発信しました。

山田拓民さん(長崎県原爆被災者協議会事務局長)「原爆と私そして占領軍と日本政府」

14歳の時に爆心地より3kmの長崎中学校で被爆、自宅は爆心地より1km、8月の内に姉・弟2人・母親が亡くなりました。)16年後には父が肺がんで亡くなり、高校教員を務めながら反核運動に参加。1990年に退職してから被爆者運動に専念。

「高校生一万人署名活動」実行委員会高校生平和大使「高校生パワーが歴史を拓く」

高校生平和大使は、1998年のインド・パキスタンの核実験を契機に核兵器の廃絶を訴えて毎年国連を訪問しています。昨年からは「ユース非核特使」に委嘱され、活動の幅を広げています。また高校生一万人署名は総数1、014、679筆になり、世界の平和を実現するために寄与しています。

田上長崎市長

1945年8月九日午前11時2分、長崎は原子爆弾により破壊され、一周にして街は廃墟と化し、約15万人が死傷しました。被爆から69年目を迎える現在も多くの方々が放射線の後遺症に苦しんでいます。「ピースアクションinナガサキ」を通した生協の平和活動に心から敬意を表しますとともに、これからも様々な場面で核兵器廃絶に向けた強い意志を発信していきましょう。

フィナーレ
活水高校「平和学習部」

活水高等学校平和学習部は、平和について学び活動する部です。部員は高校生一万人署名活動や市主催のピースボランティアなど社会活動に参加するかたわら、ふりそでの少女の話を世界に発信する「Furisode-Project」も行っています。

活水高校コーラス部「樟TwinkleStars」

2003年に結成し、合唱活動を行っています。一人一人が個性を大切にし、社会に巣立った後も周りの人と協調しながら、輝いてほしいという願いを軸に施設訪問、交流演奏、合唱祭などで合唱の楽しみを深めています。

ロビーでは「ヒロシマ:マナガサキ原爆と人間展」のパネル展示と、2020年までの核兵器廃絶を目指して「核兵器禁止条約」の交渉開始を求める要請書の署名、2015年NPT再検討会議に持参する横断幕の寄せ書きコーナーを設けました。

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